新卒入社から、はてなへの転職を駆け足で #エンジニアのキャリア

こちらの記事でご紹介したはてなブログ タグのキャンペーンへの参加記事です。今回は「#エンジニアのキャリア」について。

新卒で入った会社の思い出、初めての転職、マネジメント職へのジョブチェンジなど、エンジニアのキャリアについての実体験やこれからの展望を書いてみませんか。

株式会社はてなの社長になって6年。その直前は開発本部長やディレクターといった立場だったので、自分自身の職種が「エンジニア」であったと胸を張って言えるのは10年近く前の話なんですね。大学院卒業後、大手SIerに就職が決まってからITエンジニアになるための勉強を始め(その前にホームページ作ったりはしていましたが)たので、「エンジニアのキャリア」と呼べるのは賞味10年間もなさそうです。だいぶ昔の話になるので、何の参考にもならないとは思いますが、おじさんの昔話と思って聞き流してください。

2002年、日韓W杯の年に就職をした私は、就職先の3ヶ月にわたる新人研修でJavaOracleの基礎を学び、運の良いことに配属先のチームが小規模なWebアプリケーションの新規開発に携わることができました。フレームワークStrutsで、開発はパートナー企業が行い、私の役割はクライアントと現場との間に立っての要件整理や細々とした雑用でした。が、それでも、管理画面のデザイン(今思うとひどい出来栄えだったので、当時のお客さんには謝りたい気持ちです)や、ちょっとした不具合修正などをやらせていただき、プログラムを書いてサービスを作り出すことの面白さを体感することができました。小規模な案件で、半年くらいでひと通りの納品まで経験できたのも幸運でした。

その後も、同期のめちゃめちゃできるエンジニアとペアを組んで、小規模開発系の案件にいくつか携わり、経験を積んでいきました。そんな中、はてなブックマークと出会い、今まで知らなかったインターネット上の面白いサービスや技術記事に衝撃を受けました。

SEとして経験を重ねていく中で、数年がかりのプロジェクト(基幹システムの刷新)にメンバーとしてアサインされました。このプロジェクトはとても大変で、肉体的にも精神的にもしんどい時期が続きましたが、一方で、今まで自分が知らなかった業務アプリケーションの世界を知り、とても勉強になったのもまた事実です。

その後、会社からはマネジメント系の仕事を期待される中で、もっと自分で手を動かしてサービスを作ってみたいと応募したのが、はてなの「サービスクリエイター」職(当時の職種です)。先日放送の半沢直樹で、上戸彩さん演じる妻が、夫である直樹の背中を押すシーンが話題になりましたが、私も当時、今の仕事を続けようかどうしようか迷っていたら、妻から背中を押してもらったのでした。家族に支えてもらってありがたいです。本当に。

その後、入社面接やプレゼンを経て、はてなには「アプリケーションエンジニア」として入社することになりました。当時で30歳です。さあバリバリ頑張るぞと、うごメモはてなや新サービス開発などでエンジニアとして働く中で、会社やチームメンバーからは、エンジニアとしての働きだけでなく、まとめ役としての動きも期待されていました。いわゆるマネジメントの役割ですね。マネジメントではない仕事を求めて転職したのに、結局マネジメントの仕事をしてるじゃんと言われたら、返す言葉もありません。ただ、エンジニアとして、自分より若く能力が高いメンバーを目の前にして、自分がこの中で価値を発揮できるとしたらどこだろうと考えたときに、自然とそのポジションに身を置くことができたんですね。むしろ、その仕事の内容に面白さを覚えるほどでした。転職する前にSIerで培った、ビジネスパーソンとしての基本スキルやエンジニアリングの基礎、プロジェクト管理のイロハが自分の血肉となって力を発揮できている、と、そう実感できたのだと思います。
今思えば、「エンジニア」ではなくて「サービスクリエイター」を希望していたわけですし、チームとして、会社として、サービスを作り提供することができているので、自分の希望は叶っていたんだなと思いました。

ということで、新卒入社から、はてなへの転職、そしてエンジニアからマネジメント職への変化を駆け足で振り返ってみました。キャリアの中で色々とおもしろい経験はしているつもりなので、機会があればどこかで。