お弁当の思い出

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今週のお題「お弁当」

我が家では、私がお弁当作り担当です。結婚して2年目くらいのころ、自分が会社に持っていく分と妻の分のお弁当を作り始めたのが最初で、前の日の残り物にちょっと卵焼きを足してくらいなら簡単に用意できるかなと思ったのがきっかけでした。

せっかくなので、写真を撮ってブログにでも載せるかなと、お弁当ブログも始めてみたりして。当時はペパボさんのブログサービス「JUGEM」で書いていました。愛妻弁当を文字って愛夫弁当とタイトルをつけ、せっせと更新していたら、とある新聞社の方の目にとまり、メールで取材依頼がありました。当時は今ほどブログを書いている人も多くなく、また、男性がお弁当を作ってるというのもまだ珍しかったんでしょう。

なにか新手の詐欺なんじゃないのってどこかで思いながら、休日に記者の方をお迎えして、ちょっとしたお弁当を作って写真を撮ってもらいました。翌々日の夕刊に割と大きく取り上げていただいて、会社の先輩に「昨日新聞出てなかった?」と聞かれたのは良い思い出です。

その後も子どもの保育園や小学校のお弁当をせっせと作っていました。ちなみに、そんな凝ったものではなく、むしろ子どものお弁当は月いちくらいのペースだったので、おにぎり、卵焼き、ブロッコリーに、からあげかウィンナーか肉っぽいおかずを入れるというフォーマットを作っていたので、シンプルなお弁当です。お弁当づくりは、頭を使うポイントが「おかずを何にするか」と「どうやって詰めるか」のふたつだと思っていて、おかずをある程度固定化することで、献立を考える手間とテトリスのように詰め方を考える手間が省けるので簡単です。

そうこうしているうちに、長男が中学生になり、お弁当を持っていきたいと言うので、じゃあまた毎日作らなければねと始めたのが、はてなブログでのお弁当ブログです。誰に見せるためでもないので、淡々と記録として書いています。写真ももっときれいに撮ったり、加工したりすれば良いんでしょうが、そういうところに凝りだすと、忙しい朝に時間がなくてイライラしそうだったので割り切りっています。

2018年4月〜のブログ九州男児が作る愛◯弁当
2004年6月〜2006年5月のブログ : 九州男児が作る愛夫弁当

最近は長男が高校生、次男が中学生になったので、質より量重視ではないかと、御飯の上におかずを乗っけるタイプのお弁当を試しています。この方法は、お弁当箱の深さをどう埋めるかをそこまで考える必要がないので、これまた頭をつかうポイントが減って簡単です。

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最近のお弁当です。お弁当箱(タッパー)の大きさが異なるのは、次男の使っていたタッパーがある日バッキバキに割れていたから。本人は心当たりはないと言っていますが、おそらく重たい荷物に押しつぶされたのでしょう...

お弁当の思い出、教えてください。

今こうしてせっせと子どもたち(たまに妻)のお弁当を作っていると、私が中高生の頃にお弁当を作ってくれていた母のことが頭に思い浮かびます。中高と毎日お弁当を作ってくれていた母。朝から早く起きて美味しいお弁当を作ってくれていましたが、果たしてあの頃の自分はちゃんと感謝の気持ちを伝えられていたかな。「お弁当、美味しかったよ」のひとことが、作った人のモチベーションをどんなに高めることか。デロリアンがあるなら、あの頃の自分に会いに行って教えてあげたいです。

母の作ってくれたお弁当で、ぱっとまず思い出すのが卵焼き。うちの実家の卵焼きはほんのり甘く作ってありました。私も今、あの頃の味が再現できないかなと、色々試行錯誤してみますが、難しいですね。記憶の中の味なので、もしかすると永遠に再現できないのかもしれません。なんなら、今実家に帰って、母に卵焼きを作ってもらっても、同じ味にはならないかも、とすら思います。

基本的に美味しくて、いい思い出ばかりの母のお弁当なのですが、ひとつだけ、あれは何だったんだろうというお弁当のときがあります。たしか中学1年のときだったと思います。お弁当箱がいつもとは違う、ひとまわり大きいサイズでした。そしてお弁当箱の横に小さめの水筒が。学校のお昼ごはんの時間に、包みを解くと、お弁当箱の中にはそうめんが入っていました。添えられていた紙には「弁当箱に水道水を入れて冷やしそうめんにして食べてね」と書かれていました。水筒に入っていたのはもちろんめんつゆ。書かれているとおりにして食べましたが、当時はそんなイレギュラーなお弁当を持ってきている人はクラスにおらず、周りから「あいつ何食べてるんだ」という目で見られていた気がします。いや、実際はそんなに気にしている人はいなかったんでしょうが、思春期で自意識がビンビンに過剰になっていた私は、恥ずかしい気持ちで食べていました。そういう思いをして食べたにも関わらず、そうめんなので当然お腹の減りは早くて、良いこと全然なかったと、帰ってから母に文句を伝えました。以来、そうめん弁当が登場することはありませんでした。

毎日子どものお弁当を用意していると、作っているこちらが飽きてきて、ちょっと変わったトリッキーなお弁当でも作ってみようかなと思うこともあります。そんなとき、母のそうめん弁当が頭に浮かんで、それは良くないと踏みとどまるきっかけになっているので、もしかすると母から将来の私へのメッセージだったのかもしれません。